自殺について

こんばんは。今回は本当にただの雑談です。

本当にしょうもない話をするので、見てしまった方は申し訳ありません。

まあ、これも記事の練習ということで、どうか許してください。

 

 

自殺ってなんだろう

18日、ある俳優さんが亡くなられました。

お名前は出しません。その俳優さんがまだ自殺したかわかりませんし、

今回のお話には直接かかわらないからです。

 

では、なぜ上記の話題を出したのかと言うと、単に私が、
いま死について考える。そのきっかけのニュースだったからです。

 

そして、病死、事故死、やむを得ない死などに次いで――自殺というワードが

浮かんできました。

この中で、唯一自分で決められるのが”自殺”だったのです。

なので、自殺について考えてみました。

 

 

大前提として死にたくない 

あ、誤解のないように言わせていただきますと、

私、死にたくないんですよ。

もうほんと、死にたくない。

だって、いま、例のウィルスが全世界で猛威を振るっている中、

死にたいんだったらとっくに死んでます。

でも、死にたくないから、毎日必ずマスクをつけて、
密を避けて自粛しながら、自身に出来うる努力をしながら日々生きています。
(まあ、これは日本人として当たり前なんですけどね(;’∀’))

――もうめっちゃ死にたくない。ほんとに。

 

そもそも、なぜ自殺をしてはいけないのか

なんでしょうかね? これが正直ちょっとよくわからない。

まず何度も言いますが、
大前提として、自殺はしたくありません。

これは、矛盾するようですが、多分自殺した人の中にも

こういった人がいるんじゃないかなって勝手に思っています。

自殺はいけないことの理由は、ちょっと考えれば簡単に上げられます。

  • 親から産んでもらった命なので、大切にしなければならない。
  • 友人や家族がかなしむ。
  • 社会的に、単純に労働者が減るし、納税者が減るから。
  • 許すと、犯罪や悪人にりようされるから。
  • 後処理がとても面倒だから。
  • ext・・・・・・

 

では、上記に当てはまらない人は自殺してもよいのか

例えばですが、親子関係が破綻していたり、どうしようもない親で、

子供が死のうが全く関心が無かったり、そもそも、もうお亡くなりになっていたり。

友人もなく、親族もいない天涯孤独の身の上で。

さらに、職もなく納税もしておらず。

人知れず、海などの自浄作用がある場所で死ぬ。

 

このような場合は、自殺は許されるのでしょうか。

 

死にたい奴は勝手に死ねばいい。

ここまで読んでくれた方は意外に思うかもしれませんが、
私は、この意見、ホントその通りだと思うんですよね。

一見冷たそうに見えるこの文章。

でも、そもそも暖かい冷たいとは別にして、動物として、
この考えは当たり前だと思います。

人間よりよっぽど厳しい世界の野生動物は、生き残れそうにないものは

肉食、草食問わず見捨てられます。

私たちは人間ですが、動物として、上記の意見は至極まっとうな意識なんです。

 

では、なぜ宗教で抑制するほど、自殺はタブーなのか

そこで、疑問が生じます。

人間の本能として、野生に刻まれているはずの

『死にたい奴は勝手に死ねばいい』という考え方。

これがあるならば、なぜ、世界の様々な宗教が自殺を抑制するのでしょうか?

あるサイトを拝見しますと、宗教的に、人間の命は等しく、神のものであり、

その命を勝手に終わらせるのは、神に対しての冒涜――という考え方が多いそうです。

(上記のはキリスト教ですが、仏教は基本的に殺生してはいけませんもんね)

でも、様々な、あまり関りを想像できない宗教も、みな

『自殺はいけない』といっているんです。

これはなぜなのでしょうか?

ここで、無知をさらしてしまうのですが、

私にとって宗教は「辛い世の中をほんの少し救ってくれる考え方」

という風に解釈しています。

無神論者ではありませんが、神様を見たことが無いので。

そうなると、システム的に、宗教がなぜ自殺を禁止したのかという点に疑問がわいてきます。

 

私の考えた理由は、

自殺をされると、宗教が成り立たないから。

だと思います。

まあ、信者に死なれては、お金が入ってこないですもんね。

 

 

結論:絶対に死にたくはないが、自殺は最終手段として選択肢にいれたい。

正直に言ってしまうと、私は結構宗教を信じています。

地獄とか行きたくないし、普通に犯罪とかおかしたくないし、

善良ではないけれど、善良ではありたいし。

――それでも、やっぱり死にたくなる時はあるんですよ。

これは誰でもそうだと思います。

誰だって、一瞬死にたくなる時はある。

生きたい。生き続けた。――死にたくない。

 

けれども、死にたくなる状況になったとき、

例えば、もう回復の見込みがないような大やけどを負ったとき。

脳死状態で、回復する見込みは限りなく少なくて、延命治療で家族に負担をかけてしまう
ような状況になってしまったとき。

――逃げとか、弱いといわれようと、どうでもいいくらいに、生きることが辛くなってしまったとき。

 

私は、自殺という最後の選択死を、肯定してもらいたいんです。

あなたにではありません。社会にではありません。宗教にではありません。

――死んだ先の、全く未知の世界。あるいは虚無でも。

私は、その選択が救いであって欲しいんです。

 

おこがましい願いではありますが、この記事を読んでいただいたあなたにお願いがあります。

どうか、選択をしてしまった人を悪く言わないであげてください。

『馬鹿野郎め、俺(私)を悲しませやがって・・・・・・あの世であったらもっかい殺してやる・・・・・・』

こんな感じで、名一杯ののしってあげてください。

もう死んでしまっている人に『お前は地獄に落ちるんだよ』なんて言ってもしょうがないですし。

自殺を悪く言う人間には2パターンいると、私は思っています。

一つは、自らが、死から目を背けるために、恐怖を隠すためにその人物を貶める人。

もう一つは、死を見つめ、実際に生きて、「もったいない」と嘆き悲しむ人。

私は、後者でありたいと――あり続けたいと思います。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました